最近の泊まらない「合宿」から考えるコトバの形骸化
みなさんは、合宿ってしたことありますか?
私の経験だと、
- 高校の頃、塾でやった英単語合宿
- 大学の頃、軽音サークルでやった夏合宿
- 社会人になってやった開発合宿
が合宿の経験として挙げられます。
同じようにみなさんも何かしらに所属していれば、合宿をやった経験が1度ぐらいはあるのではないでしょうか。
さて、私が経験してきた合宿は、その名の通り「メンバーで同じ宿に泊まりながらある一つの目的を達成するために集中して作業する」そんな場でしたが、
どうやら、最近は泊まらなくても「合宿」というコトバを使っているようなのです。
私は日本語を正しく使いたい派ですから、"宿"という漢字を使いながら宿泊しないことに違和感しか覚えません。
これは、コトバの形骸化というやつではないのでしょうか。
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合宿とは
合宿(がっしゅく)は、同じ目的の学習や訓練、研修などを1ヶ所(または複数)の宿舎等に宿泊しながら一定の期間行うこと。
もちろんwikipediaで調べても、多分広辞苑で調べてもこのように説明されると思います。
最近の使われ方は、この説明で言うと、
合宿(がっしゅく)は、同じ目的の学習や訓練、研修などを1ヶ所(または複数)の宿舎等
に宿泊しながらで一定の期間行うこと。
こうなるということです。
「泊まらない合宿」がアタリマエになるとこれからどうなるか
泊まらない場合も「合宿」という言葉を使うようになると、我々は「合宿」という言葉とセットに伝えられる「期間」を聞いて初めて泊まり込みかどうかがわかることになります。
"宿"という漢字が使われていると言うのに、です。
そういうことを考えると、やっぱり「合宿」と言う言葉を泊まらない場合にも使うようになって欲しくはありません。
「集中研修」とか、他に言い方があるはずです。
ただ、残念なことに、最近はこのようにして日本語のコトバの形骸化が起こってきています。
どうしてコトバは形骸化するのか
ここで言う形骸化は、本来表している意味が削ぎ落とされていくこととします。
「集中研修」を使わず「合宿」という言葉を使うのは、「合宿」がその他の言葉よりメジャーで使われやすく、ポジティブなイメージがあり、インパクトを与えやすいからなのでしょう。
コトバの形骸化は、メディアが本来の意味より与える印象を重視した結果の副産物であり、そこに違和感を覚えなかった受け手がまた媒体となって伝染してしまうのです。
まとめ
とは言っても、「そんな小さいこと」と言われればその通りで、「合宿」の"宿"が"宿"という意味でなくなったことを私がツンツンつついていても何も変わりません。
もし、このメディアの伝染力を逆に生かして私の手でこの問題を対処するのならば、「泊まらない合宿」というコトバを新しく流行らせればいいと思いました。
ということで、このブログを前のWordpressのブログと同じぐらいの訪問者数にしてから、やっとそのスタートラインに立てそうです。
まだまだ引き続き記事の移行作業が続きますが、お許しください。